インカの染織遺品
 概観してみると、「染め」よりはむしろ「織り」に重点が置かれている。
 彼らの技法選択は織物にあったらしく、そこには驚くべき多種類の
 織物技法が考案され、現在の力織機などでは製織できないものさえあり、
 どの織物分類に属し、どのような名称をつけたらよいか見当のつかないものも多くある。
 また、一枚の布には少なくとも数種類の技法が使われており、
 織物全体の統一も見せている。


インカの衣服
 現在のように、一定の大きさに作った布から裁断し縫製するのではなく、
 あくまでもレディメイドで身体の大きさに応じて織られ、襟口などはその部分だけ
 あらかじめ織り残し、穴を開けておいて機からおろすとすぐに着用が出来るという、
 裁断工程を省略する方法がとられた。
 曲線部分も広く、あるいは狭く織ってあるので、はさみなどという道具は必要でなかった。


服装の形式
 基本的には上下衣の二部形式から構成されていた。
 男子はふんどし、キルト風の短いスカート、それにクスマ(無袖貫頭衣)と
 ウンク(短袖貫頭衣)の二種類のポンチョ(貫頭衣)で、
 これに腰帯を結んで装飾用のふさ飾りをたらし、頭部には頭帯や
 華やかな装飾のついた帽子をつけ、足は裸足が普通であるが時にはサンダルを履いた。
 女子はチュニックのような長い足首までの寛衣をつけ、
 ときにはマンティヤと呼ばれるベールの被り物、首飾りなどをつけていた。
 織物が発生してから、インカ帝国が征服されるまでの
 約4000年にわたる染織工芸の流れを、時期的区分にしたがって概観してみる。

  古期(BC2500〜BC1800)
   すでに木綿が栽培され、土器はまだ使われていないのに、
   繊維製品が多量に出土している。
   編物と織物が一枚の布に組織されているものがあり、
   ほぼこの時期に織物へ転換したようだ。
   平織りのほか、経糸を浮かせて八の字状の文様や、
   鳥文様を織ったものがある。
   染色には先染めの青色染料と、先染めあるいは後染めの赤色染料が使われた。

  
   形成期(BC1800〜BC300)

   紡績は、木綿・獣毛が融合せず、地域的に統一された紡績が行われ、
   単糸、または双糸で撚られ、北部では右(S)撚り、南部では左(Z)撚り、
   中部では両撚りが混在している。
   機織道具では、 綜絖が案出されたが、これ以降インカ帝国期に至るまで、
   四枚以上の多綜絖への改良発展はされず、指先で組織をひろい、
   複雑な織物組織をつくりあげた。
   一枚の布に少なくとも二つ以上の組織が含まれ、ときには五種類に及んでいる。
   平織り綾織綴織り
もじり編み、二重織り紋織り縫取織りなどが
   地域差で見られる。
   このうち、羅は正倉院のそれとよく似ている。

  
古典期(BC300〜1000)
   織物技法が完成され、さらに南北の交易で獣毛、絹、麻などが融合された。
   色彩は、一枚のマントに5〜7色が使われ、主色調は、木綿の白・茶と、
   獣毛の青・緑・赤・紅・茶で、紫染料は地中海の貝紫と同様に、
   バラカス海岸で食料にした会から抽出している。
   古典期の終わりには獣毛をふんだんに取り入れた緻密な組織の綴織が作られ、
   エジプトのコプト織より数倍の密度を持つ。

  
後古典期(1000〜1532)
   インカ帝国の出現に向け、政治、軍事への関心が高まり、
   画一的な規格品の生産は技術・品質の低下となった。
   染織技法として新たに、刺繍レース、描き染め絞り染め絣染めが見られるが、
   技法的には経絣のみで、経・緯絣までは発展せず、初期段階にとどまった。

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